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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2354号 判決 1973年3月28日

控訴人

西島惣右エ門

右訴訟代理人

池田清治

外一名

被控訴人

宮田ノブ

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人主張の請求原因一、記載の事実、及び被控訴人が昭和四一年三月一日から同年九月一四日までの地代合計一万二、六七四円(以下単に本件地代ともいう。)の支払をしていないことは、当事者間に争いがない。《中略》

四つぎに控訴人は、前記昭和四三年八月一九日付の書面による催告<編集部注・未払賃料の支払を求める催告で、条件付契約解除の意思表示を含むものとは解せられない>を前提として、あらためて昭和四四年一一月二〇日到達の書面で被控訴人に対し、賃貸借契約を解除する旨意思表示をしたので、これにより賃貸借契約は終了したと主張する。

(一)  まず、右解除の意思表示がなされるまでの経過を、証拠に基づき考察してみると、<証拠>を総合して、次の事実を認めることができる。右各本人尋問の結果中この認定に反する部分は信用するに足りず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

1  昭和四一年二月頃までの被控訴人の地代の支払状況は、前記二、において認定したとおりである。そこで認定したとおり、その時期における地代の支払状況も、必ずしも、正常なものといいうるものではなかつたのであるが、それにもかかわらず、その頃までは、ともかく、結局において、地代が滞りなく支払われ、いわば、「曲りなり」にも賃貸借契約における賃貸人と賃借人相互の信頼関係が維持され、賃貸借契約の解除という事態に立ち至らなかつたのは、次のような事情によるものと認められる。すなわち、被控訴人は現在七四才の一人身の無職の老女であるが、長年専売公社に勤めていたので、年金と若干の貯蓄があり、地代の支払いに困るようなことはないのであるが、何分にも無学のうえ強情な性格であるため、控訴人からの地代の値上げの要求に対してはとかく不服をのべてすなおに応ぜず、また日常も地代の額に不満をとなえていたのに対し、一方控訴人は特定郵便局長の職にあり、かつ本件土地のほか各所に貸地を所有して比較的裕福であるところからついつい老令の被控訴人の強情さに負けてしまい、被控訴人が地代の値上げに不服を唱えて支払いをしないときは、これが解決するまでの間は敢えて強力に支払いを求めることもせず、また被控訴人の地代の支払いが滞れば、便宜同人方に赴いて支払いを受けていた。また被控訴人は右のような財産状態であるから、争いが解決したり控訴人が出向いたりすれば滞つていた地代をまとめて支払うのであるが、その際にも控訴人は被控訴人に対し、とくに向後は同様のことを繰り返さないようにとか、地代は本来持参払いなのであるから、取り立てをまつて払うのは筋違いであるとかいつて、警告ないし咎めだてをすることもなかつた。このように、控訴人にとつて被控訴人は「手こずる」借地人ではあつたが、しかし話合いがついて一応被控訴人の不満が解消すれば確実に地代の支払いがなされていたところから、控訴人も被控訴人がなんとか理由をかまえて円滑に地代の支払をしなくても、他日の解決を期して、即座には地代の不払を咎めることをせず、被控訴人もまたこれを当然のことのように期待するというような状態の下で、昭和四一年二月頃までは、ともかく、結局において、地代が滞りなく支払われ賃貸人と賃借人相互間の信頼関係がつなぎとめられていた。

2  昭和四一年三月頃、また地代値上げの問題が生じ、被控訴人がすなおにこれを納めようとしなかつたところから控訴人は、同年五月一七日翌一八日到達の書面で、「土地賃貸借契約が昭和四一年九月一四日限り終了する」旨を通知(この通知は、あらかじめ更新を拒絶する趣旨を含むものと認められる。)し、その頃から期間満了と同時に賃貸借契約を終了させようと考えるようになつた。そのようなわけで、控訴人は、同年五月中に一回地代の請求をしただけで、その後は、一度も地代の請求をせず、また従前のように便宜被控訴人方に赴いて地代の取立てをすることもしなくなった。被控訴人も、控訴人が請求もせず取立てにも来なかつたところから、その支払をしないままに打ち過ぎ、かようにして昭和四一年九月一四日当時、同年三月分から同日まで地代合計一万二、六七四円が未払となつていた。

3  昭和四一年九月一五日以降控訴人は、期間の満了により賃貸借契約は終了したとの態度をとり、爾後控訴人は地代の請求もせず取立てにも行かず、被控訴人も地代の支払をしないという状態が続いていたところ、控訴人は、前示昭和四三年八月一九日付の書面で昭和四一年三月分以降同年九月一四日までの延滞地代を書面到達後三日以内に支払うよう催告したのであつたが、この書面は、前述のように、右のように催告する一方で、賃貸借契約がすでに昭和四一年九月一四日限り終了しているので土地の明渡しを求める旨の意思を表明したものであつた。

4  その後控訴人は、昭和四四年一一月四日本訴を提起し、その請求の原因として、昭和四三年八月一九日付の書面は、催告期間内に催告にかかる延滞地代を支払わないときはこれを条件として賃貸借契約を解除する旨の条件付契約解除の意思表示を含むものであり、催告期間内に被控訴人が延滞地代を支払わなかつたので、賃貸借契約は、同年八月二三日を以て解除されたと主張した。

5  しかし、控訴人は、右書面が契約解除の意思表示を含むとすることについては疑念もあつたところから、念のため、昭和四四年一一月一九日付翌二〇日到達の書面で、あらためて、前示昭和四三年八月一九日付書面による催告に基づき賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

昭和四四年一一月一九日付翌二〇日到達の書面による契約解除の意思表示がなされるまでの経過事情は以上のとおりである。なお、控訴人が本訴提起以後、賃貸借契約は解除により終了したと主張するに至つたのは、期間の満了による賃貸借契約の更新を暗に前提とした上でのことと解されるが、控訴人が本訴提起の時までは終始、賃貸借契約は期間の満了により終了しているとの態度をとつていたことは右述のとおりである。

(二)  そこで、以上の経過を経てなされた昭和四四年一一月一九日付翌二〇日到達の書面による契約解除の意思表示の効力について考えてみるに、当裁判所は、次に述べるような諸点から考えて、右解除の意思表示はその効力を生ずるに由しがないものと考える。

(1) 被控訴人が昭和四一年三月分以降同年九月一四日までの地代を長期にわたつて遅滞していたことは、もとより、ほめらるべきことではないが、この程度の期間、額の延滞は、従来とてもなかつたわけではなく、その都度前記(一)まで述べたようなやり方で、結局は、解消されて来ていたのに、右期間の延滞分に限つて、そのようなことが行なわれず、遂に契約解除という事態にまで発展したのは、(イ)控訴人が昭和四一年五月頃からすでに期間満了を待つて賃貸借契約を終了させようと考えていたため、その頃から、ことさらに(しかも地代の支払方法につき従前と異なる態度を以て臨むことにつきとくに警告するようなことはなんらしないで)地代の請求もせず従来のように地代の取立てに赴くこともしなくなつたことと、(ロ)控訴人が昭和四一年九月一五日以降は賃貸借契約がすでに終了しているとの態度をとつていたこと(後述のように、控訴人は、本来、賃貸借契約の更新を認めざるをえない立場にあつたのにかえつて、これを否定する態度をとつていたこと)とに、その原因の一半があつたものというべきであり、その点で、控訴人の側にも、賃貸人としての誠実さにおいて非難さるべき点がなかつたとはいいえないものと認められる。

(2) 民法第五四一条は、履行遅滞にある債務者に対し相当の期間を定めて履行の催告(いわゆる最後通告)をすることにより一応債務者に反省の機会を与えた上で、それでもなお債務者が与えられた機会を利用せず、催告期間内に債務の履行しない場合に初めて契約の解除を許す趣旨と解される。ところが、本件においては、控訴人は、前示昭和四三年八月一九日付書面で賃貸借期間満了前の延滞地代の支払を催告する一方、同じ書面で、賃貸借契約はすでに昭和四一年九月一四日限り満了しているので土地の明渡しを求める旨の意思を表明し、その後、終始賃貸借契約が終了しているとの態度をとつていたわけであるから、被控訴人としては、催告にかかる延滞地代を支払つても、控訴人が賃貸借契約の存続を容認する態度に出ることは到底期待できないと考えること(すなわち初めから反省の機会を閉されたに等しい状況の下で履行の催告を受けたものと考えること)が無理もないと認められるような事情にあつたものというべきである。してみると、控訴人としては、被控訴人に対し一旦賃貸借契約の更新・存続を是認する態度を明らかにするとともにそれまでの延滞賃料につきあらためて相当の期間を定めて催告を発した上で契約解除の意思表示をするとか、若しくは少くとも、右の態度を明らかにした後相当の期間を経て契約解除の意思表示をするなどの方法をとることは格別、このような措置をなんらとらないで、右昭和四三年八月一九日付書面による催告を前提として直ちに契約解除の措置をとることは、民法第五四一条の精神にもそわず、また賃貸人としての信義に戻る所為といわねばならない。

(3) 本件賃貸借契約の解除が被控訴人の生活に極めて重大な打撃を与えることが明らかであるのにひきかえ、控訴人にとつては、本件土地を取り戻しても自らこれを使用する必要があるとは思われず、他に賃貸借契約の更新を拒むべき正当の事由があることについてはなんらの主張立証もないので、控訴人は、本来、賃貸借契約の更新を拒みえない立場にあつたものと認められる。

以上(1)(2)(3)の諸点を総合して考えれば、控訴人が昭和四三年八月一九日付書面による催告を前提として昭和四四年一一月一九日付翌二〇日到達の書面により契約解除の意思表示をしたことは、期間の満了による賃貸借契約の更新を認めた上で、その支払がないため、延滞地代の支払いについて誠意をもつて被控訴人に反省を促した上で、やむをえず契約解除の挙に出たというよりは、むしろ、賃貸借契約が期間の満了によりすでに終了しているとの、自己の誤つた主張、態度を、なんとか正当化そうとして、形式的に民法第五四一条の手続を履践したに過ぎないものというべきであつて、その実質においては、民法第五四一条の精神にもそわず、賃貸借契約における当事者間の信義則に戻る所為と認めざるをえない。従つて右契約解除の意思表示は、その効力を生ずるに由しがないものというべきである。《後略》

(白石健三 岡松行雄 川上泉)

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